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真宗の生活

2012年度版の「真宗の生活」を読んでました。

『みな悉く(ことごとく)、極楽浄土に往生せよ』東京ボウズバー会長 田中弘さんの言葉です。

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欲望を叶えることばかり考えている私たちの人生は、思い通りにならないという苦しみから離れることが出来ません。しかし、仏様の教えに照らされることによって、身に起こった出来事が苦しみを生むのではなく、思いに合わない事実を引き受けられない自分の心が苦悩のもとになっているということに気づかせていただくのです。
そして阿弥陀如来は、自分の思いだけを依り処にして、傷つき、泣いているほかの命の傍らに立つことの出来ない私たちを憐(あわ)れみ、悲しまれて、えらばず、きらわず、見捨てることなく、みな悉く極楽浄土に往生せよと願い、誓われてるのです。
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自分が苦しいのは、辛い出来事・苦労があるから苦しいのではなく、自分の思い、考えと合わない事実を受け止められない自分の心が原因だと言う事に気づかない。
常に自分中心で物事を考えている証拠です。


こんな事も仰ってます。

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浄土とは、自分の欲望を叶える場所ではなく、欲望が叶うか叶わないかにとらわれることなく生きることの出来る世界をあらわした言葉です。
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いろんな欲がある。
欲は叶えたい。
叶えても、また次の欲望が生まれる。

まさに欲望のスパイラル。

そんな世界でそんな生き方をしているのが私たちです。
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報恩講と石山寺

東本願寺へ報恩講に特別伝道四班の仲間と一緒に参拝。
報恩講のお参りは初めてです。

今回は七百五十回御遠忌の報恩講とあって、参拝者も多かったそうです。

hohonkoh

初めて見る「坂東曲」(ばんどうぶし)。
30人ほどの僧侶が体を前後・左右に揺らしながら和讃を読みます。
迫力ある光景でした。


終了後、早々に本山をあとにして
瀬田にある「石山寺」観光に。

石山寺1

石山寺2

初めて参拝する寺で、紅葉が素晴らしく綺麗。

紅葉
山全体が境内になってて、いたる所が紅葉で染まって・・・絶景でした。

なんでも、紫式部が源氏物語を書いた場所なんですね。
全く知りませんでした。

名物の「しじみめし」を食べて無事帰路につきました。

知るという事

仏教を聞いていて自分が思った事。

仏教とは「知る」という事。
己を知る。己(人間)の真の姿を知るという事だと思う。

他の宗教では
「お参りすれば、こんな夢が叶う」
「これさえ信じれば幸せな一生が送れる」
「これだけお布施すると、これだけの御利益がある」
などなど、こちらの行為による見返りを求めてる感がします。


親鸞聖人の教えを聞いてると、
「あぁ、自分(自分達)は、こんな哀れな姿であった」
「我々は、どうしようもない煩悩の塊であった」
「他人ばかり目が行って、自分の姿には気づかなかった」
と思い知らされます。

そんな悪い所(煩悩)を直さなくてもいい。
ただ、
「そういう哀れな私であった」
「人間はそういう煩悩の塊である」
と気づく事が大事だと、感じた。

決して沢山お布施して幸せになろうとする宗教観でない、自分の心の持ちようが大切な宗教観だと感じさせられます。

善人と悪人

親鸞聖人のお言葉に

「善人なおもて往生す、いわんや悪人をや」
というお言葉があります。
有名な「悪人正機」説です。

善人すら救われるのだから、悪人はいうにおよばない。

私達はいい事をしたりすると心のどこかに
「やってあげたのだから・・・」
などと、心のどこかに見返りを求めています。
これが善人の正体。つまり
「偽善者」です。

心のどこかで見返りを求めている。

お返しが無かったら
「やってあげたのに」と、腹を立てる。

善をなしたと善に誇っている善人よりも、
深くわが身の悪を自覚した悪人こそが、
弥陀にすがるしかない身なんだと自覚できる人であり、
往生の正因なんだと親鸞聖人は仰っておられます。


「浄土真宗に帰すれども真実の心はありがたし虚仮不実のわが身にて清浄の心もさらになし」

親鸞聖人は
清らかといえる心もまったく無いと嘆いておられます。
地獄に落ちるしか行きようのない身なんだという自覚に立たれたわけです。

そこが浄土真宗の根源である考え方なのではないでしょうか。

「どうせ」と「せっかく」

先日、永代経のお参りに師匠寺に参拝して参りました。

読経後の法話にてこんなお話がありました。


物の考え方・受け取り方には二種類ある。

「どうせ」。

「せっかく」。


逆境に出会った時、人はマイナスイメージ・後ろ向きな考えをして

「どうせ自分は○○だから・・・」

と、自分を否定してしまう。



また、

プラスイメージ・前向きな考えをして

「せっかく自分はこのように逆境に出会ったのだから・・・」

と、前向きに物事を捉える。


どんな出来事でも心の捉え方一つで180度方向性は変わってしまう。


そのような考え方が出来れば・・・でも難しいですね。
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釋 重願

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